いまの子どもたちに必要な学びの場とは

仮称大田区立みらい学園(学びの多様化学校)
東洋大学名誉教授 長澤 悟×立命館大学名誉教授 野田 正人×類設計室×類学舎

現在、類設計室では東京都大田区立不登校特例校設置事業構想及び基本計画案作成の業務を行っています。「学びの多様性」が社会的に認知される中、「そもそも学校に行きたくない」「学校に行く理由が見当たらない」と言う子どもたちを前に“学ぶ場所をどうするか”ということ自体が揺れ動く時代の学校建築、学校空間のあり方を、長澤 悟 東洋大学名誉教授、野田 正人 立命館大学名誉教授をお迎えして考えました。

出席者(敬称略):長澤 悟(東洋大学名誉教授)、野田 正人(立命館大学名誉教授)、岩井 裕介(株式会社類設計室 東京設計室長)、八橋夏菜(同 計画設計部)、馬場 則光(同 教育事業部)
司会進行:森 浩平(株式会社類設計室 意匠設計部)

不登校問題の推移と真の課題

野田 敗戦で日本が焦土となった中、学校に戻れない子どもたちがいました。おもな理由は3つ、「病気、貧困、障がい」です。その後、昭和54(1979)年に養護学校(現特別支援学校)が義務化され、障がいを持つ子どもたちの教育が保証されました。一方、当時は非行に走る子どもが多く、今度はその延長で学校に来ない子が増えた。非行は昭和の終わりに減るのですが、すると今度はこれまでにない理由で学校に行けない子どもたちが現れた。

立命館大学名誉教授 野田 正人氏

その子たちは学校を拒否しているのではなく、むしろ「行かなければ」と頑張りすぎてストレスを抱えていた。悩みを持つ当事者たちはこの状態を「不登校」と呼ぶようになり、文部科学省(以下、文科省)が平成4(1992)年に初めてこの言葉を使ったことから一般に認知されました。その後、不登校児は急増。平成13(2001)年で一度高止まりしたのち、平成24、25(2012、13)年ころから再び激増しいまに至ります。

子どもたちの心のケアをするために、平成7(1995)年にスクールカウンセラーが学校に配置されましたが、平成15(2003)年前後からそれだけでは対応しきれない多様な要因が見えてきたことから、平成20(2008)年、社会的な支援も担うスクールソーシャルワーカーが学校に入りました。平成28(2016)年に公布された「教育機会確保法」には「不登校を直ちに問題行動と見なさない」と明記され、「学校に行かない選択肢」「学校に行かないことの意味」などが当事者間に流布。いまや何が不登校の大きな要因かわからない状態です。 ただ、文科省が去年(2022年)6月に出した報告書では「学習についていけない」ということが不登校の大きな要因として指摘されています。少なく見積もっても不登校児の約4割がこの問題を抱えていることを勘案すると、不登校対策を考える際「学びを保証できているか」は大事な視点だと思います。

長澤 すべての子どもたちにとって学校がどういう場、どういう空間を備えたものでありたいか。去年3月に文科省から出た報告書のキーワードの1つは「明日また行きたい学校」です。と同時に、報告書には書かれていませんが「明日また友だちに会える場所」、これが学校としてありたい姿だと思います。また、報告書には「誰一人取り残さない教育」という言葉もあり、この3つのキーワードを軸に学校空間をもう一度捉えなおす必要がある。学習についていけないことが不登校の要因であるなら、その問題を通じて学校はどうあるべきかが改めて問われているように思います。

東洋大学名誉教授 長澤 悟氏

類学舎の取り組み

馬場 類学舎に来る子どもたちは「学校に期待していない」「学ぶ目的がわからない」と言います。それを受け私たちは、なぜ学ぶのか、何を学ぶのかを我々大人が子どもたちに教えることが重要と考えました。その取り組みとして、教育的観点から子どもたちに農作業など、実際の仕事を経験してもらっています。すると、子どもたちは感謝される喜びを知り、もっと人に喜んでもらいたい、そのためには自分の足りない部分を補いたいと考えるようになりました。そういう「学びの原動力」をつかむと子どもは大きく成長します。

右側 類学舎 馬場 則光

――子どもたちが類学舎に通う動機は何だと思いますか?

馬場 ある低学年の子は「体が類学舎に行きたがる」と言っていました。それより上の子どもたちは、大きくはやはり「仕事があるから」と。言い換えれば「誰かの役に立つこと、生きる力を付けることができるから」ということだと思います。また、それを指南してくれる大人がいて、共に考え、追求し、成長していける仲間がいることも大きなモチベーションになっています。

長澤 たとえば東京でもその取り組みは成立すると思いますか?

馬場 はい。類学舎では農園作業のほかに、他企業や類設計室の各事業部にインターンに行かせてもらいます。そこでは真剣に仕事に取り組む大人たちに接し、その大人たちに評価される。そのことも子どもたちの大きな動機付けになっていると思います。インターン終了後も、企業や自治体の仕事に関わることもあります。地域に関係なく子どもたちが学べる場所は作ることができます。

地域がみんなの学びの場

八橋 仕事の中で教員や子どもたちと話すと、関係性の作り方にポイントがあると感じます。毎日学校に通える子でも結構しんどさがあるようで、それは学校という場が勉強しか物差しがないしんどさ。部活やスポーツをどんなに頑張っても勉強ができなければ評価されない。先生とも評価する/される関係性しか作れない。いま小学校建築のプロジェクトに携わっていますが、その学校は地域の施設も複合されるので乳幼児からシニア世代まで、多世代の中に子どもが混ざり、育つ関係性が生まれます。一方的に評価されない、一緒に何かに取り組むような関係づくりや、そこを起点とした空間づくりが子どもたちの「やりたい」という内発を掻き立てる上で重要なのではないかと思って設計しています。

類設計室 八橋夏菜

長澤 僕は地域の祭りや盆踊りというのはとても大事だと思うんです。お年寄りから小さな子どもまで、普段はやんちゃな若者も子どもの見本となり、一緒になって盛り上げ、盛り上がる。祭りが装置となり、地域そのものがみんなの学びの場となる。もしかしたら類塾がそうなのかもしれませんが、子どもたちにはそういう場や経験が大事なのかなと思いました。

野田 私が育った地域では子どものころ、農繫期と祭りの日は学校が休みでした。つまり生活とコミュニティが学校より優先されていた、あるいは教育はそこに従属していた。ところがいまは成績だけが評価軸、あるいは祭りのために学校を休むなんてとんでもないという考えがスタンダードになっている。地域に子どもたちを返すという意味では、ハードもソフトも文化も含めて返さなくてはいけなくて、そのための工夫が必要なのかもしれませんね。

学校建築に携わる者に必要な視点

岩井 国の政策を見ても、成長分野をけん引する理工農系人材やデジタル系人材を中心に人材育成に関するものが多く見受けられ、いまや学びの場づくりは教育機関だけに限らない、産業界、地域社会も含めた共創追求課題となっていると感じます。我々自身も、中期経営計画の指針を「開かれた共同体の共創、人が集まり育つ組織へ」と定めています。

類設計室 岩井 裕介

また、公共の街づくり、図書館や公園など我々が関わるプロジェクトにおいても、人づくり、とくに子どもが中心テーマとなり、多様なプレイヤーの共創で新しい学びの場を提案、実現プロセスまで設計することが期待されているのが現状です。

野田 明日また学校に行く気になるには、学校施設の吸引力と、行きたいと思える動機付け、セットでどういいものができるかという話ではないでしょうか。

長澤 私は「わくわく」がキーワードだと思います。いまの学校は「特別教室のあり方」が非常に大きな課題で、本来わくわくがたくさんある活動の場なのに、設計者の意識からそれが抜けている。本来の目的である主体的で創造的な学びの場、センス・オブ・ワンダーを持ち続けて様々な発見ができる場所として特別教室を捉えなおすと全然違う学校ができると思います。

もう一つは「私の場所」。例えば、北欧の学校のようにいたるところにいろんな色、形、大きさのソファがあり、子どもたちが自由に選べる。これは自分の居場所の選択肢が多くあるという事だと思います。一方、日本の学校は自分の教室の自分の席以外に座る場所がない。すると教室に入れない子には居場所がないんです。そんな子の居場所、それがソファではないかと感じました。不登校の子が示す行動や状況は、学校を捉えなおす上でたくさんの示唆を与えてくれます。

岩井 社会的にデジタルやAIの進歩は不可避ですが、だからこそプリミティブな価値や意識というものにみんな敏感になっているように思います。いま先生が言われた私の場所やわくわくする感覚、言葉にならない感覚みたいなものが逆に注目される。一方にデジタルやAI、一方に身体感覚やセンス・オブ・ワンダーというプリミティブなもの、両方を見ていくのが新しい学びの場の一つの切り口かなとお話を伺って感じました。

馬場 先日、大阪の類学舎は設計室の力を借りてパーソナルな部分は残しながらも、ガラス張りの開かれた空間を作ったんです。すると子ども同士の仲間関係が格段に良くなったり、些細なけんかやいざこざが減った。開かれた場所で活動する重要性を認識しました。

野田 私がいま気になっているのは感覚過敏な子への対応です。とくに音に敏感な子はすごく多い。そういう子には個別に対処しますが、それでもパニックを起こすようだと閉鎖空間が必要になる。まさに「キミの場所」です。そういう子を受け入れるかとは別に、そういう子の存在は視野に入れて考える必要がある。

岩井 普通の公立学校でどこまですべきかという議論はあると思いますが、学校建築に携わる者として子どもたちの心の機微や状況をより緻密に知っておく必要はあると思います。また、校内に私の場所やわくわくを作るには、デザイン、ファシリティ、光、音、空調など、環境作りの工夫が必要で、それには当事者である子どもたち、学校関係者、専門家の方々との共創関係が不可欠です。いまの子どもたちに必要な学びの場はそのように作っていくものではないでしょうか。

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