– 主な業務経歴 –
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1988年~
設計事業部の構造設計として、東京設計室に配属。『綾瀬市庁舎』等を担当。阪神・淡路大震災(1995年)以降は、耐震診断、耐震補強物件の専任担当業務を担う。
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1999年~
構造設計部主任として、『東京大学工学部2号館 (新建築掲載)』や『東京PCB施設』、『法政大学第二中・高等学校』、『東京工業大学 地球生命研究所棟(ELSI-1)』等の構造設計を担当。また、対外的な活動(鉄骨関連の協会のワーキンググループへの参加)を積極的に行い、その内容を論文にまとめ日本建築学会で発表。
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2014年~
大阪設計室に配転。部長として、構造設計部の設計を取りまとめ。『ユーシン精機新本社工場』『石橋図書館(ツナガリエ石橋)』等を担当。
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2020年~
『京都市上下水道局総合庁舎』では施工会社との共創でAMIDA構法による高耐震性設計を実現するなど、挑戦を続けている。
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2022年 ~現在
『京都市の小中一貫校』ではRCと木の混合構造のプロジェクトを担当。他にも、新しい木造のあり方、コンクリート造の有害なひび割れをなくす方法、地震波を知る、新しい耐震設計の追求等、多岐に渡る追求成果を実際のプロジェクトでも生かしている。
構造設計の枠にとどまらず追求領域を広げ、技術力を磨き続ける廣重さんの魅力をご紹介します。
―長年、技術追求をし続ける原動力は?
追求すればするほど未知に遭遇する。安心安全を守るための追求には終わりが無いからもっと知りたくなる。
大学は土木専攻でしたが、入社してからは建築の世界の広さと奥深さに触れ、大学までに培った固定観念がどんどん壊されていく気持ちよさと先輩達との追求が楽しくて、もっと知りたい!という想いが湧きました。
初めは、構造設計の部署に配属されたはずなのに、先輩から「意匠は何を実現したいと言っていたか?」「設備の納まりと整合しているか?」をひたすら聞かれて戸惑いました。しかし、構造設計は構造のことだけを考えて構造計算をするのではなく、意匠・設備の領域まで踏み込んで初めて“設計”になるんだと一つ枠が外れました。
多摩区総合庁舎で監理を担った時は、施工者と沢山会話をしました。モノづくりの現場の生々しさや、設計とはまた違った思考の仕方、物の見方を知り、物件の最初から最後まで見届けるなかで、建築の奥深さを自分の目で見て肌で感じて、追求心に更に火が付いたのを覚えています。 もう一つ契機となったのは、1995年の阪神・淡路大震災の経験です。日本の構造基準を守れば、建物は壊れないとみんなが信じ切っていたものが崩れ、衝撃を受けました。設計部全員で現地調査をしながら、これから何を、どこから追求したらいいのか議論を重ねました。その時前社長の「もし、また大きな地震が来たら、社員の命を守れるのか。それを考えたらとことん追求するしかない。」という言葉を聞いて、“安心安全を実現するための追求には終わりがない。自然の摂理の本質を掴み、安心安全をカタチにすることこそ構造設計者の使命”だと強く思いました。
―構造設計の枠にとどまらず、追求領域を広げる面白さは何ですか?
どんな分野を追求しても、どこかで繋がってくるから面白い!
阪神・淡路大震災や2016年の熊本地震でも、圧倒的な自然現象を前に、国も学者も設計者も答えが出せない現実がありました。会社や立場の枠を超えて、知恵を出し合うことでしか突破できない状況だと痛感しています。だからこそ、社内での技術追求はもちろん、日本建築学会での発表や鉄骨関連の協会活動等、追求の場を社外にも広めています。
鉄骨関連の協会で出会った、ある設計事務所の方の「これからの日本の建築業界を背負っているんだ。私たちが切り開いて追求していかないと。」と真に迫る姿勢に刺激を受けました。社内だけでなく、社外でも未知課題の背後にある根本を突き詰め、課題の本質に迫ることで課題解決の糸口を探っているのが学びになりました。その時は直接関係が無いと思っていた追求も、どこかで本質部分は繋がってくるのがさまざまな分野を追求する面白さです。
社外の人との追求関係を広げていけているのは、分からないことは分からないと素直に発信しているのも一つあると思います。質問を契機に、一緒に追求する雰囲気をつくれます。どんなに経験を重ねても、現実世界においては過去の記憶や成功体験だけでは突破できない未知の現象・課題に遭遇するので、まだまだ追求できることがあると思うとワクワクします。今はもう構造とか、設計とか、そういった枠は感じていませんね。

―人材育成をする時に意識していることはなんですか?
自発的な「やりたい」想いを引き出し、追求仲間になること。
大阪への配転を機に人材育成への意識が変わりました。「先人たちの想いを後世につなぎ、つくってくれた組織を守っていきたい。」という前社長の想いに感動し、構造設計部をまとめる立場となり、組織を守っていく役割を担うようになりました。
若手と接していて、一方的な技術追求の押し付けでは人材育成は成り立たないという実感があります。相手の心情や状況を無視していると、自発的な「やりたい」想いを引き出すことはできません。
現実の相手の期待や、未知課題に対峙したときに、若手が何を感じ、どんなことを掴んでいるのか?その機微を捉えることで、問いかけを変えています。育成する・されるという一方的な関係ではなく、一緒に追求していける関係を築いていきたいと思っています。
―類設計室で働き続ける魅力を教えてください。
みんなが追求し続ける姿勢を持っているから。社外との共創をさらに広げていきたい。
物事の本質を掴みとるために追求し続ける姿勢をみんなが持っているからですね。そして、本気で活力ある社会をつくりたい、建物を建てることを通して活力を再生していきたいという志を高く掲げていますが、その実現体をひとつでも多く生み出したいと思っています。
また、確固たる精神性を持ちながら、社会の潮流に合わせて柔軟に追求する中身を変えていける集団であるとも捉えています。今は企業も学校もみんななんだか活力が無い、でも誰も答えを持っていない、どうしたらいいのか迷っている。そんな時代ですよね。これまでの固定観念では太刀打ちできない。そんな社会の潮流と共鳴してきていると感じています。
だからこそ、社外との共創がさらに可能性を広げていくのではないかと思います。そこでの追求を推し進めていきたいです。追求に終わりはないですから。