- 02 Susumu Tada
- 多田 奨
- 1999年入社 / 設計事業部 意匠設計 課長
- 一級建築士だった父の影響で、自分も建築士を志すようになった。大学院時代は建築史を専攻。もともと歴史に親しんでいたこともあり、類設計室の歴史認識や人間の本質=本源を探ろうとするところに惹かれて入社した。20年を超えるキャリアの中で学んだ経験を活かすのはこれから。設計・監理の第一線で活躍している。

誰かの思い出を建てている。
かれこれ20年以上この仕事をやってきましたが、関わった物件はどれも思い入れがあります。その中でも20代のころに設計した床面積10万㎡超えの大型ショッピングセンターのプロジェクトは、今でも鮮明に覚えています。当時は今のように働き方改革が進んでいませんでしたから、昼夜も休日も問わず設計に明け暮れていました。若い頃にしか出来ない力まかせの仕事です。でも、こだわり抜きました。そうやって完成したショッピングセンターがオープンして、家族連れやカップルが楽しそうに過ごしている姿を見たとき、「この人たちの思い出になれたんだな」と思うと、自然と涙が溢れました。設計は大変でしたが、その過程すべてが誰かの喜びにつながっている。建築と一緒に、誰かの思い出を建てられる仕事。自分の生きがいがはっきり見えた瞬間でした。最近、手掛けた木造3階建ての松田小学校も、大変思い入れのあるプロジェクトです。約45年ぶりの小学校建替えは松田町の念願。次の50年先を見据えて、どんな小学校を建てるべきか。私たちが着目したのが、木造3階建て学校の建築を可能にする2015年の法改正と文部科学省の「木の学校づくり先導事業」です。『都市に森をつくる』。文部科学省が支援するかたちで公立学校の木造化が実現できる。これは大きな転換点です。こうして全国の先駆けになる木造3階建て学校のプロジェクトが始まりました。

木造3階建て学校の
スタンダードモデルをつくる。
松田町は林業で栄えた町。今でも森林面積が町全体の約75%を占めています。松田小の裏山には伐採期を迎えたヒノキ・スギがたくさんあります。先人が植えて下さった木々を少しでも有効活用し、子どもたちに町の文化を伝えていきたい。さらに視野を広げると、松田町のように山がちな市町村は全国に数えきれないほどあります。地域づくり、人づくりにつながるこれからの木造学校を、全国に広げていくチャンスだと考えました。建築技術に目を転じれば、学校は中大規模建築物です。一般住宅よりはるかに大きい。70㎡程の教室は無柱空間です。それを木造で、かつ最も合理的な架構で実現するといったノウハウも、これからの木造学校づくりのために蓄積すべき課題。森と都市をつなぎ、地域と人をつなげる。そんな木造学校を全国に広げていきたい。そのためのスタンダードをつくろうという想いがプロジェクトの核になりました。しかし、新しい法令に則った木造3階建て学校は先例がほとんどありません(松田小は全国で3例目)。私は企画から実施設計、監理まで全ての過程を担当しましたが、類設計室としても、私自身も、初めて尽くしです。独力では何も成し得ません。1000棟に及ぶ木造建築を手掛けてきた建築家の杉本洋文先生をはじめ、多くの人から優れた知見とご協力をいただいて、共に創り上げました。関わった全ての人の顔が、感謝と共に思い出される経験は、私の宝です。


ものづくりを、ものがたりにする。
ものづくりを、ものがたりにする。
松田小の工事期間中、在校児童に木の学校づくりに参加してもらいました。子どもたちの思い出になる新しい学び舎。愛着を持って、大切に使う心を育ててほしいという想いを込めて、工事中の現場見学会をはじめ、町民や在校児童を招待するイベントを企画しました。特に約400人の児童全員が参加した「木育ワークショップ」は大盛況でした。子どもたちが松田町産材のヒノキに触れるイベントです。町産材のヒノキブロックを自然の揺らぎをイメージして合板に張り並べ、出来上がった38枚の作品を昇降口の側壁の装飾として使いました。毎日通る2層吹抜けの玄関口が、子どもたちの力で大迫力の空間になりました。他にも、屋根の棟持ち梁に、児童が未来へのメッセージを寄せ書きするイベントも行いました。天井裏になって見えなくなりますが、子どもたちの想いがタイムカプセルのように残り続けています。6年間暮らす学校。窓から見えた風景や教室の様子は、大人になっても覚えているものです。その一部に子どもたちの作品があります。あの時の児童が大人になって、彼らの子どもが松田小に入学するとき「あれはお父さんが作ったんだよ」と伝えてもらえれば。世代を超えて、松田小学校の思い出を重ねてほしいと思います。この歳になっても、いつまで経っても設計が簡単だと思えません。常に新しい発見や学びがあります。だから楽しい。未来へ続く、ものがたりを、これからもつくっていきたいと思います。
02 Susumu Tada
私が追求したいこと
災害に強いまちと建築。
日本は災害大国です。震災のたびに建物が倒壊し、火災が起こります。忘れてならないのは、そのたびに家族や友人を失って悲しんでいる人がいるということです。人にそんな思いをさせては絶対にダメだ。最近、強く思うようになりました。建築設計士の仕事は、人々の生命と財産を守ることです。建築物の作品性云々の前に、都市と建築の安全をかなえる。安心して暮らせる社会基盤をつくるのが設計士の使命だと思います。そのうえで、森林大国日本の、世界遺産級の木造技術を、現代に活かす方法はないか。耐震・耐火の木造技術が育てられないか。これから追求していきたいと思っています。
※所属、仕事内容は取材当時のものです。