類に入って気づいたこと ~志が生まれる瞬間とは?~

2021.1.8

 『志』。

 

私は、生きてきた中で、志があったとは、到底言えませんでした。

しかし社会に出て自身に初めて志のようなものが沸いてきた、決定的な瞬間がありました。

それは【事実認識を得たとき】です

◆「事実認識を得る」とは?

「事実認識を得る」ということはつまり、「本来生物や社会があるべき姿を知る」ことでもあります。本来あるべき姿を知ると、当然、そことの乖離を感じることが増え、おのずと「このままではいけない!」という使命感が生まれました。それをもって、「どうするのが最善か?」の追求にまっすぐ向かっていけたのです。

 

例えば、

・「生物はみんな不完全である」という事実認識を得たことで、「理想像を作って人に求めることのおかしさ」を感じると、依存し合い一緒に追求していくほか無い!

⇒保護者の方に、どう気づいてもらおう?と追求

 

・「進化するのはいつも弱者」という事実認識より。「何でもできる人が勝つ」のでは無い。現実を受け入れ、素直に吸収して自分を周りに適応させていける人が進化していける(≒勝っていける)!

⇒「できるのが良い」という架空観念を払拭しなければいけない!じゃあ、どう伝える?と追求

などなど。

 

今までの人生で何となく感じていた不整合も、事実を知ることで明確な違和感になり、その突破口を追求できるようになったことが私の最大の活力源であることは間違いありません。入社してから何度となく聞いた、「事実に基づいた構造認識こそ志」とはこういうことかと、実感しました。

 

◆この気付きを、どう生かすか?

類グループで働く中で、心が動く瞬間(志・使命感が生まれる瞬間)は、やはり事実認識を得たときに「このままではいけない。もっとこうしたい!」と思う瞬間なのだということも、気付きました。

学生時代の自分はある種理想を抱いてしまい、「できない自分」に意識がいってしまうことがよくありましたが、「事実認識を得る」というただこれだけで、志が生まれるどころか、何より本当に生きやすくなりました。

 

だから、どんな壁にぶち当たったときも「本来はこうあるべき」に立ち戻り、上手くいかない現実は架空の幻想が生み出しているということにも気付くことができます。(ただし、その「本来あるべき姿」はあくまで事実に基づいたものであり、頭の中で描く現実とかけ離れた「理想」とは全く違うことは念頭に置かばければいけません。)

生まれて初めて志が生起した今、私にできることは、事実認識をとにかく多くの人に伝えていくこと。

そして、子ども達や保護者の使命感や志を生むきっかけを作っていくことだと思っています。