2度の震災を乗り越えた絆 ~堀場エステック阿蘇工場オープニングセレモニー~
2018.6.12


この内容は、初めて明確な言葉としてお伺いしたのだが、なぜか、当初からその想いは明確に共有できていた。
それは、電気も水道もない、廃墟のような状態からどう立ち上がるのか?という外圧を共有し、ギリギリの状態で、再生できる部分・壊さざるを得ない部分を見通し、苦しい判断を行ったことを通して、今何をすべきかが、潜在思念で深く共有できていたからだと思う。
上記の判断内容を、現地の工場長、本部の責任者に電話報告しながら、再生に向けての現場調査が続くなかで、工場長の『やっぱり壊さなあかんか?』という落胆した表情や、本部の『つらいが、事実は事実として受け止めるしかないな』という重苦しい雰囲気が共有でき、こちらも自然に堀場製作所様の社員になったような気持ちで、仕事をしていた。
そして、数ヶ月たち、課題が落ちついたころに初めて、お金をどうする?という話が始まった。そこでは、各業者とも掛け値無しで価格を提示し、みんなで調整するという、施主も含めた不思議な打ち合わせになっていた。
これらは、仕事の最基底部に、人と人との期待応望の関係があり、それが満たされると自ずと活力が上り目的は達成され、その結果、契約や金銭に代表される市場関係もうまくいくという事例だと思う。
本当にいい関係だったし、本当にいい仕事だった。
だが重要なのは、阿蘇のような極端な外圧がなくても、期待応望関係というものは、厳しい闘争課題がその前提にあり、普通に考えると無理難題のように見える課題ばかりであること。そして、それでもそこを突破する活力が湧くかどうかは、相手の置かれた外圧にどれだけ肉薄できるかどうかにかかっており、この共認度合いが、勝負を決するということだ。