【教育情報】教育の誤りによって「人類 毎年25種が絶滅?!」

2019.5.7

近年、地球上の生物のおよそ4万種が毎年絶滅していっていると騒がれていますが、他人事のように他生物の絶滅を心配している場合じゃありません。

実は、人類そのものも、過去500年間で数千の種が絶滅し、さらに今世紀中に、現存する種の半数がさらに消滅するといわれているんです!(@o@!)

■それってどういうこと?

国の領土や制度は時代に応じて変わっていきますが、それだけで種、すなわち民族が消滅したことにはなりません。

では、種=民族が消滅するとはどういうことでしょうか。

人類は、DNA変異よりも、知能=大脳の発達によって、進化を遂げてきました。そして、言葉を獲得してからは、その追求の方向性や深さは言葉と一体にありました。民族の世界観や志向性は言葉に表れ、言葉がまたその民族性を作るともいえます。

とすれば、民族の消滅とは、その言葉を使う人が消滅したときなのではないでしょうか。

言語学者の海老原志穂氏は、ある対談で次のように述べています。

『(ニュースにもならないので、想像もつかないかもしれませんが)毎年、25くらいの言葉が死んで世の中から消えています。最後の話者が亡くなったとき、その言語は死んだと判定されます。要するに、「言葉」というものは生きた人とともにあって、文字や文献としては残っていてもダメなのです。』

『わたしたちは、言葉によって「世界を認識」しています。言い換えれば、言葉というものにはその言葉の話者の「世界の認識の仕方」が反映されていると言えます。そういう意味で、世界のありようの多様性を支えているのが、言葉の多様性なのです。だからこそ、「言葉の死」というのは、ある動物種が絶滅してしまうことに匹敵するくらいの出来事です。絶滅によって生物多様性が失われるように、言語の死によって世界のありようの多様性、みたいなものが失われてしまいますから。』

■その原因は?

それでは、なぜ「言葉が死んでゆく」のでしょうか。

チベット映画『草原の河』を撮ったソンタルジャ監督は、自身もその映画の主人公が話すアムド語の話者ですが、その監督によると、アムド語の話者は現時点では100万人くらいいますが、若い世代の間で、アムド語がどんどん忘れられはじめているんだとか。

なぜかというと、一つは、学校で早いうちから中国語を習うから。監督が子どもの頃は小学五年生で初めて習ったのですが、今は小学1年生から習うんだそう。

そしてもう一つは、子どものころからテレビアニメや漫画などに親しんでいて、そういうものがすべて、中国語だから。さらにパソコンやスマホなど、新しいものはすべて中国語で入ってくるので、どうしても若い世代は、中国語の方を使うことになってしまうというのです。

日本でも、小学校で英語教育が取り入れられようとしています。

母語が不十分な幼少期に英語教育を押し付けることに危険性を唱える識者はたくさんいますが、これはまさに、日本人を民族絶滅の危機に陥れるほどの愚策といっても過言ではありません。

だからこそ、まず鍛えるべきは「国語力(母語の言語能力)」!

保護者のみなさん、お子様の「国語力」、大丈夫ですか-?

(※国語どうする?の相談会や、国語の授業体験にご興味がおありの方は、類塾各教室にお問い合わせください)