「分かる」「分からない」で評価していませんか?

2021.7.2

こんにちは!入社1年目の加藤です!

 

入社してから、学校と社会の違いに驚きの連続です。

特に、社会に出たら「答えがないことを常に追求し続ける」、それに尽きます。

 

でも、学校では「答えがあるものを解く」ことの繰り返し。

答えがないから分からない。知らないからできない。なんて社会では通用しません、、、

 

少し分からないだけで全てをシャットアウトしてしまう。完全なる理解を正と考えている。

そんな風になっていませんか?

今回紹介する週刊事実報道では、なんで「分からない」「できない」となってしまうのか、その原因は何なのか、本来の思考とはどういうものかを記事にしています!

 

以下、週刊事実報道の内容です☆

 


 

「知らない言葉があるから分からない」「難しい話だから分からない」「前提を聞いていないから分からない」……

そんな風に、思考を停止させてしまうことはないだろうか。しかもこれらの言葉には、往々にして「知らないのだから仕方ない」「難しく言う方が悪い」「前提を説明してくれればできる」等といった、自己正当化や他者否定のニュアンスが含まれる。

だが実は、この発想そのものが、学校教育発の点数信仰に侵された無能人間の言い訳思考なのだ。

 

無学年制授業を展開する類塾での小学生国語の授業で、大人でも本質や論理をつかむのが困難な論文が扱われた。

読み終わった後、偏差値の高い子や高学年の子たちも含め、多数の生徒が「ちんぷんかんぷん」だと言う。顔には「???」が浮かび、頭の中はフリーズしている。

ところがそんな中、クラスで一番元気な下級生の女の子が、つかめたこと・感じたことを楽しそうに発表してくれたのだ。

あまりにもイキイキと話すので、思わず「この文章の何%くらいつかめたの?」と聞いてみると、「3割も分かってへん」とあっけらかんと言う。

 

「あぁここが分岐点なんだ、と思った」

と講師は語る。

「ちんぷんかんぷん」と思った生徒は、ちょっと分からない言葉や文章が出てきたら、それで思考が止まってしまっている。分からないことに引きずられ、次の瞬間の分かるチャンスに集中しようともしないし、分かった部分を基にとりあえず組み立ててみることもしない。0か100か、◯か×かの世界で、完全に理解できないとダメだと思っているし、いったん〇をもらったらそれ以上追求することもしない。だから、発展もしないし成長もしない。

 

だが本来、現実課題(人間関係も含む)で何かをつかむ場合、これが分かれば〇とかここまでいけば100点とかいう基準はないし、逆に何一つ分からないという状態もない。

学びの天才である赤ん坊は、「できない」「分からない」ことには拘らない。というより、「できない」「分からない」という発想がない。「少ししかできていない」とか、「この部分だけ分かった」とか、満点や完璧を前提にした評価もしない。彼らは毎回何かをつかみ、少しずつ、できるようになり、分かるようになるだけなのだ。しかも、簡単なことからつかむ訳でなく、難しいことであれ知らないことであれ、まず本質や幹からつかんでいく。そして、誰に〇×や点数をつけられるでもなく、その思考や行動やその結果辿り着いた状態そのものに、充足を感じている。

 

 点数信仰に陥ると、これらの純粋な姿勢や充足や能力が、ことごとく封鎖されてしまう。これが、天才だった赤ん坊が、凡人以下に成り下がってゆく構造だ。

 

「分からない」「できない」。子供にそんな意識を植え付ける学校や親は、その事実を深く受け止め、一刻も早く点数信仰から脱却しなければならない。

 


 

いかがでしたか?

 

お子さまは、「考えて」いますか?保護者のみなさまは、「考えられて」いますか?

 

「考える」ことがますます重要になってきている現代。

「分かる」「分からない」で評価してしまっていないか、ぜひ見直してみてください。